◉震災発レポート
被災抽象画家が写実した光景とは?
15年前を再確認する美術展
神戸市灘区・BBプラザ美術館 ◉ 2010年1月23日
阪神大震災 鎮魂の画譜 吉見敏治原画展
text by kin
2011.1 up
この展覧会を見つけたのは偶然だった。阪神岩屋駅を降りてHAT神戸方面に向かおうとしていたところ、2国を渡る手前のビルに大きくその案内が出ていたのを見つけた。せっかくだと思い、吸い込まれるように会場の中に入った。
作者の吉見氏は、長田で被災した被災者だった。それまで抽象画の作家だったが、避難先に救援物資として仲間から画用紙が送られてきたことをきっかけとして、徐々に外に出てスケッチを始めるようになった。写実的に、被災地の光景を作品に残していったという。
崩壊した街に色を感じなかったのか、形の存在感を感じたのか
最初に展示してあった『1月17日』という作品。これは黒と赤の太い線が重なり合うだけの模様のような絵である。後年に、その時を思い出して描いたと解説に記されていた。一見典型的な抽象画のようでもあり、暗闇の中に踊る炎に包まれる長田の街、そのままの写実のようにも見える。色が入っているにもかかわらず、モノクロームのように見える。哀しみの魂をキャンバスにぶつけたような作品で、強い印象を残す。
作品のほとんどはモノクロである。どれもが太い輪郭で力強いタッチだ。崩壊した街に色を感じなかったのか、色を排除することで形の存在感を感じたのか。だがすべてがモノクロかと思いきや、後半にあった鷹取の更地に咲いたひまわりは強い色彩で描かれている。ここからは色のメッセージを感じることができる。
自身が長田で被災したためもあり長田の題材が多いが、ほかにも阪神電鉄の車庫が崩壊した様子や、中層階が潰れた神戸市役所、阪神高速などある種の象徴的な被災地点が描かれている。また長田区内でも東の北町や御菅から西の新長田、鷹取まで、特に被害の甚大だった代表的な場所が選ばれている。こうした「場所」の選択を見てみると、記録として残しておきたいというジャーナリスト的な視点や、被災者あるいは表現者としての使命感のようなものもあったようにも思える。自分の街ながらも客観的な眼でもって場所を探しているようだ。これは長田の街を知るものにとっては「場」選びそのものからもメッセージ性を感じ、とても興味深く感じた。
復興への道程が見えるような風景
被災後のガレキばかりが描かれているわけではない。長田の久二塚にあった大きなテントによる仮設店舗「パラール」や、六甲アイランドの仮設住宅群がある。仮設というのは、被災していない普通の街においては、違和感があり無機質な風景でもある。しかし被災地においては、その無機質さの中にも力を蓄えているような、あるいは復興への道程が見えてきたような風景に見える。普通は「仮設」が表現の題材になることはまずないだろう。それを取り上げているという点だけでも、いろいろな解釈が浮かんでくる。
日常に戻った通常の作品制作においても、意識的、無意識的に「震災」が大きなウエイトを占め繰り返し作品を作ってきた。
と、氏がこの展に寄せた文章の中に記されている。この展示の開催が「一五年前の体験を再度確認させていただく場となった」とあったが、この展示を見た我々は、そうした氏の体験を「追体験」するかのような場となった。
ちょうど会場には吉見氏も来場しており、関係者と歓談しているところだった。黙礼で挨拶し、会場を後にする。今こうして時間をおいて振り返ってみると、訊いてみたいことが次々に思い浮かんでくる。お話できなかったことを今になって少しだけ後悔をした。
[了]
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。
◉データ
震災から15年、神戸を想う 中期
阪神大震災 鎮魂の画譜 吉見敏治原画展
開催日:2010年1月13日〜2月14日
場所:BBプラザ美術館(神戸市灘区岩屋中町)
- BBプラザ美術館
- [2009/12/14]【阪神大震災 15年を歩く】描くことが使命だった 突き動かされ50点(朝日新聞大阪本社兵庫版)