阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

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青池憲司コラム

KOBEで/1.10(前篇)

神戸市長田区 ◉ 2010年1月10日
こうべiウォーク

text by 青池憲司

2010.1.14  up
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1999年に第1回が行われた「こうべi(あい)ウォーク」がことしも開かれて(1月10日)、わたしは訪神し参加した。長田区の被災地をめぐるこのウォークは、わたしにとっては、震災からの復興過程で知り合った専門家・市民・ボランティアのみなさんに会う、年に何度とない機会でもある。これを、わたしはひそかに新年会と呼んでいる。この日は約150人の人たちが4班に分れて約4キロを歩き、見聞し、話し合った。その道程の多くは見慣れた風景であるが、iウォークで歩くとちがって見える。あの日とのちがいを見つめようとする、わたし(たち)がいる。

出発地点の野田北部地区の大国公園を出て、旭若松地区の若松鷹取公園で古市忠夫さんの話を聞く(写真1)。古市さんは、この辺りの土地区画整理事業で住民のリーダーとして活躍し、現在も熱心にまちづくり活動をつづけている。記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』(全14部)にもずいぶんご登場いただいた。古市さんはまた、震災の記憶を伝え継ぐことにも力を入れていて、磨きのかかった語り(かれは震災の語り部でもある)で、区画整理の思い出とともに、「災害に強い、人にやさしいまちをつくるのが生き残った者の使命」と語った。ひさしぶりだが、古市節健在である。

JR新長田駅近くの若松公園で鉄人28号を見て、国道2号線を渡り、アスタくにづか(ここの1番館北棟2階に神戸映画資料館がある)を左右に大正筋商店街を行き(残念ながら人通りはすくない)、「KOBE鉄人三国志ギャラリー」で、横山光輝作品の展示品を見る。膨大な作品群は人それぞれ、また、世代によって興味が異なる。「おれは『伊賀の影丸』だな、わたしは『コメットさん』などの声があがる」。このギャラリーは、大正筋商店街の南端、アスタくにづか6番館にある。新長田駅近くの鉄人28号と対にして、客足をここまで引っぱろうという商戦略だろうが、成果はどうか?人の往来がもどってくることを切に念じたい。

ギャラリーを出て、道幅が広くなった六間道商店街へ入る。この商店街は、震災直後に歩いたときはまだ昭和の雰囲気を色濃くとどめた一画だった。昔懐かしいミルクホールもあった。明治時代から西神戸の中心商店街として発展し、昭和30年には本格的なアーケードが設置され絶頂期を迎え、映画館が3館あったという。うらやましい。震災後のいまも、往時の佇まいが多少は感じられるストリートを北へ折れ上がると丸五市場だ。ここも80年以上の歴史があり、独自の仕入や加工技術を持つこだわり専門店が多い。以前、FMわぃわぃのサテライトがあったころ、ここを撮影したが、ひさしぶりに歩いて、アジアの食品や物品を扱う店がたくさんできていることにおどろいた。

聞けば、市場のなかに、2007年に「丸五アジア横丁」なる一角ができたのだそうだ。台湾屋台料理、ミャンマー・カレー、タイ式マッサージ店、フィリピン雑貨店などが出店している。震災後、シャッターが上がらない店舗がふえた丸五市場は、いま、昔ながらの雰囲気が残る空間にアジアン・テイストを注ぎ込んで再出発を図っている。そんな店の一軒で、台湾921地震の被災地からやってきた廖嘉展さん(新故郷文教基金会理事長)とせっちゃん(河合節二さん=野田北ふるさとネット事務局長)がビールを飲んでいた。かれらもiウォークで歩いている。どの班もみんなここで飲食休憩を取る。ことしは阪神大震災15周年ということで、台湾だけでなく、中越、四川の被災地からも参加者があった。きょうの午後には、「阪神・台湾・中越・四川〜被災地市民交流会」が開かれることになっている。知の交流のまえに食の交流である。

丸五市場を出て北上し、広大な水笠通公園(2009年3月完成。震災まえは商工住の混在地域であったのが、区画整理で防災公園になった)を経て、iウォークのゴール地点「みくら5」に着いたのは出発から約3時間後。よく歩いた。ここには「まち・コミュニケーション」の事務所がある。スタッフの田中保三さんや宮定章さん、戸田真由美さん、みくらのおばちゃんたちの声掛けと炊き出しの豚汁。冬晴れのなかで冷えきっていた、わたし(たち)のからだはずんずんぬくまっていった。歩く・見る・聞く・食べる——毎年のことながら、「こうべiウォーク」は毎年新鮮である。これから、シンポジウム「神戸・台湾・中越・四川—それぞれの復興と多文化共生—」の会場へ向うが、その報告は後篇で。

[続く]

◉初出誌
「阪神大震災ドキュメンタリーヴィデオコレクション─野田北部を記録する会WEBサイト」サイト内
「連載コラム『眼の記憶10』第2回&第3回」2010年1月14日&24日掲載を再録。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

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青池憲司

ドキュメンタリー映画監督。震災後、親交のあった長田区の野田北部・鷹取地区に入る。"野田北部を記録する会"を組織し5年間に渡りまちと住民の再生の日々を映像で記録。
「記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部」(1995年〜99年,山形国際ドキュメンタリー映画祭正式招待作品)を発表、国内外で上映。2002年「日本建築学会文化賞」受賞。

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