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◉震災発レポート

奥尻島輪行譚 ❶
道南西部、"津波"の島に渡る

北海道奥尻町・奥尻島 ◉ 2005年8月14日
◎ 北海道南西沖地震
稲穂岬/青苗漁港人工地盤「望海橋」

text by kin

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奥尻島北端の稲穂地区は、高い防潮堤で守られている。(北海道奥尻町・奥尻島 2005年8月)
9mの津波が押し寄せた奥尻島北端の稲穂地区は、海岸線が高い防潮堤で守られている。
(北海道奥尻町・奥尻島 2005年8月) [クリックで拡大]

初めての奥尻は雨だった。

お盆の日本海は、どんよりとした空模様で湿った風が漂っていた。北海道南西部・渡島半島に位置する瀬棚町の港から、奥尻島行きの定期フェリーに乗船する。奥尻港に接岸するころには、天候のほうも途中で降り出した雨がいよいよ本降りとなってきた。フェリーターミナルには、お盆休みで心躍る観光客が次々と降り立っていく。北海道最西端にあるこの奥尻島は、周囲84kmの漁業と観光と自衛隊の島であるが、現在では"津波"の島としても知られている。

1993年、この島は北海道南西沖地震により甚大な被害を被った。同年7月12日夜10時過ぎ、北海道沖の日本海でマグニチュード7.8の巨大地震が発生した。そしてそのわずか"数分後"に島の周囲を最大30.5mもの大津波が襲う。これにより島内だけで172人が死亡、26人が行方不明となり(全体では死者202人、行方不明者29人)、その後発生した火災は一晩中炎上し続け、島内南端部の青苗地区は壊滅状態に陥った。そんなあの大災害から奥尻島はいかにして復興したのか。シクロクロスバイクの自転車で北海道を巡る旅の中、ぜひとも立ち寄っておきたい場所の一つであった。

島北端での不思議な感覚

島に降り立つと、とりあえず稲穂岬を目指した。港から10kmほど離れた稲穂地区は島内でも震源に一番近く、地震発生後の2〜3分後には早くも津波の第一波が押し寄せた地点である。この地域だけで死者・行方不明者19名、全半壊59戸の被害があった。

稲穂は島の北端にあたり、路線バスもここで終点のようだ。この先は島の反対側まで、数kmほどダートの山道が続く。集落は海岸線に沿って細長く点在しており、すぐ裏まで山の急斜面が迫っているため、平地が少ない。現在では高い防潮堤が集落を囲むようにして守っているため、道路からは海を望むことはできない。

その防潮堤にはまるでトンネルのような大きな扉が設けられており、海とはそこを通じて行き来することができる。何かあっても手動でこの扉を動かせるようになっているのだ。防潮堤の内側、水面から9.1mの位置には、その高さまで津波が襲ってきたことを示す印が付いていた。実際にその印の位置を目にすると、やはりその高さを実感させられる。その高さよりも堤が高く作られていることもわかる。

住家は道路と山のわずかな敷地に建ち並んでいるが、そのあちこちには津波から高台へ逃れるための避難路を示す「避難誘導標識灯」が目立つように立っていた。標識は太陽光発電によって作動し、暗闇の中でも確認ができるようだ。標識の先には、低い山の上に逃れられる鋼鉄製の階段が幾筋にも続いていた。

海岸線を南下

再び奥尻島の中心部である奥尻港まで戻る。ほとんどが山間部で平地が少ない地形のこの島は、山頂部の自衛隊を除くと人家の集住する大きな集落は、先の稲穂地区のほかこの奥尻地区、そしてこれから向かう青苗地区くらいである。役場や病院のある島の中心街の奥尻地区に立ち寄ったあと、青苗地区に向かった。

途中、この島のシンボルである鍋釣岩を横に眺める。海から突き出た岩で、釣り鐘の輪のような形をしている。これも地震で少し欠けたらしい。奥尻地区から青苗地区までは海沿いの細い道がなだらかなアップダウンを繰り返しながら十数キロ余り続く。その区間は山がすぐそばまで追り平地はなく、人家もまばらである。

先の地震ではこの道路が崖崩れで寸断され、街をつなぐ唯一の生命線がとぎれた。そのため救助や消火の緊急車輛が向かうことができなかった。その後も長く不便な期間が続き、今でもこの細い道を拡張するための工事が至る所で続いている。小雨になっていた雨はすっかりあがっていた。

青苗の手前1キロくらいの地点に初松前地区という小さい集落があった。ここは地震の数分後の津波で集落の全戸が流出し、30余名の犠牲者を出していた。集落を過ぎる辺りに、地区の慰霊碑が建っているのが見える。その碑銘には、集落内の震災物故者一人一人が精霊位として刻まれていた。

青苗の街に立つ

島の最南端、青苗地区に着いた。ここは高台の街だけを残し、海沿いの街区は全てを津波にさらわれ更に大火災で焼き尽くされるという壊滅的な被害を受けた所である。北海道南西沖地震において最も被害が大きく象徴的な場所となった。火災は一晩中燃え続け、約5万1000平方メートルが焼失したという。当時の報道ヘリからの空撮映像が、国内なのにまるで戦場のような光景だったことをよく覚えている。その後の復興にあたっては区画整理が行われ、道路や建物のすべてが一新された。全国からの義援金の個別配分資金で、家を立て直す事もできた。

少し街を散策してみると、やはり新しい街であるということを実感する。街区の道路舗装や街頭、そして標識などまでが新しく、プレハブ工法の住宅の家並みが続く。それはとても北海道最西端の離島にいる印象ではない。まるで住宅展示場か分譲されたばかりのニュータウンにいるような錯覚になる。それはやはり同じ災害被災地の阪神・淡路大震災の全焼地域であり区画整理地区である長田区の鷹取や御菅地区の現在にも感じる既視感だった。まちの歴史は古いのに対し情景がつり合っていないというギャップは、なんとも不思議な感覚である。

望海橋人工地盤とは?

海に沿って青苗漁港の方に向った。港に沿って大きな屋根の建物がある。最初は駐車場か荷揚げの作業場に見えたが、大きな看板には「望海橋」とあり、北海道開発局のプレートには「青苗漁港人工地盤」と記されていた。そこいは用途として「上部:漁具保管修理施設用地、漁港環境施設用地、駐車場用地、道路」「下部:野積場用地」と記されている。要は何に使ってもよいスペースなのだろうが、丈夫に広く作られている。これは漁港で作業中に津波に遭遇したときに避難するための避難用の高台なのだという。ここは南西沖地震では地震からわずか数分後に津波が来襲した所である。漁港には他に高い建物がなく、高台の丘まで距離もある。そのため前回と同じ規模の津波が来てもすぐにこの望海橋を上がればとりあえず避難ができ、さらにその先の丘まで通じているので避難にも猶予がつくられるのだという。

その大きさは巨大だ。幅およそ32m×長さおよそ164mという大きさで、何本もの太い柱が下を支えている。デザインもモダンで、階段を上がるとそこは高速のサービスエリアの駐車場の雰囲気がある。地方の小さな漁港に対しては不釣り合いなくらい大きな施設にも見える。しかしこれまでも津波が襲ってきたのは南西沖地震だけではなかった。これまでは防災に対して無防備だったことを鑑みれば、その反動として予算が付くうちに施行しておくというタイミングだったことは想像に難くない。重要な役目を担っているこの望海橋も平時の用途としてはいろいろな使用例が挙げられていたが、漁の行われていない昼間は何も使われていなかったために余計にこの施設の不思議なデザインや存在感が浮き出てくる。

港には「11.7m」という来襲した津波の高さ表示があった。高さとしての10mは恐ろしく絶望的なまでに高いことがわかる。現在は漁港周辺は二重三重の防波堤に守られているため、直接的にはその高さまでにはならないだろう。それでも望海橋は6.2mの高さがあり、住宅の三階くらいだろうか。

泊まった青苗の民宿は、主に工事関係者に向けた施設で素泊まりが格安だった。港で食堂を営みながら宿も運営している。一時の復興関連工事の際には作業期間中賑わっていたそうだが、それも一段落すると民宿のほうも落ち着いてきたという。民宿の前がポケットパークで、水産庁が補助した集落の環境整備事業の図がある。公園の隣には仮設住宅のプレハブが一棟建っており、訊くと被災後の一時使用住宅だったものを譲り受けたものだそうだ。

奥尻の早い夜は更けていった。

[続く]

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Text & Photos kin

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北海道南西沖地震被災地 奥尻港 北海道奥尻町・奥尻島 奥尻港にフェリーが着岸する。2005年8月)
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(北海道奥尻町・奥尻島)2005年8月
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の津波が襲来した。
(北海道奥尻町・奥尻島)2005年8月
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