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◉震災発レポート

災害時の帰宅をシミュレーション ❶
雨の都心をウォーキング

東京都千代田区〜千葉県市川市 ◉ 2004年8月29日
帰宅困難者対応訓練

text by kin

2004.9  up
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雨の都心で帰宅難民をシミュレーションした。(東京都千代田区・有楽町 2004年8月)
雨の都心で帰宅難民をシミュレーションした。(東京都千代田区・有楽町 2004年8月)
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防災の日を目前にした8月29日、東京災害ボランティアネットワーク(東災ボ)が主催の「帰宅困難者対応訓練」が行われた。これは大都市で災害が発生し交通機関が麻痺すると生まれる「帰宅困難者」を想定した防災訓練である。参加者が帰宅困難者となって都心部から郊外へと歩く徒歩訓練や、そのサポートをボランティアや行政、企業などが連携を取って活動する訓練などが行われた。

参加するのは初めてである。改めて都心をじっくりと歩いてみるのも愉しそうだ、というくらいの軽い気持ちだった。「帰宅訓練」とは言っても、所詮はただ「歩く」だけだろう。それならば普通のウォーキング大会と同じであるし、面白そうではないか。

まず東京駅から、日比谷公園へ移動

9時半を回った頃、集合場所である東京駅に着いた。すぐに避難誘導先(出発地点)である日比谷公園まで移動する。災害発生時には、ターミナル駅に集まる帰宅困難者を、そこから近隣の公園などへ避難誘導するというのが東京都の計画だということで、それにならっているようだ。

当日は今年何度目なのかという、台風第16号が接近していた日で、朝から雨が時折強い風とともに降りしきるという不安定な天候だった。この日の平均気温は19.9℃、平均相対湿度は88%。これで本当に実施するのだろうか。しかしこれはただのウォーキング大会ではなくあくまで防災訓練なのである。災害は天候を選ばないのだから考えるべくもない。皇居のお堀沿いに20分ほど歩き、雨で閑散とする公園に到着した。およそ260名(主催者発表)もの参加者が集まっていた。

雨だというのに防災訓練にこんなに大勢の参加者が集まったことに驚かされたが、これでも申し込み者のおよそ半分が不参加だったと知りさらにびっくりした。受付でゼッケンとペットボトルの水、予定行程の地図などを受け取る。行程は日比谷公園から千葉県市川市までのおよそ18km。途中離脱もOKだというので気は楽である。経路の途中では「エイドステーション」という休憩所が何ヶ所か設けられており、そこでは食料や水などを補給できたり周辺の情報を得たりできるのだという。

また東京石油業協同組合が共催で参加しているので、経路上のガソリンスタンドのトイレを利用できるそうだ。実際、阪神・淡路大震災の時もガソリンスタンドは最も揺れが激しかった場所や周囲が大火災に見舞われた場所でも持ちこたえていた事もあり、その安全度はかなり信頼できる。挨拶や注意点などが済んだ10時20分、いよいよ公園を出発した。

いよいよ出発。防災目線の街歩き

直後、みんなが一斉に出口に殺到したので、なかなか公園を出られない。なるべく先頭の集団にと思っていたが、結局真ん中くらいの班に加わることになった。数十人くらいで一つの集団を形成して、それぞれのぼりをもったスタッフが先導する。狭い歩道を2列くらいになって歩いていく様は、小学校時の徒歩遠足を想い起こさせる。街を行き交う人たちはのぼりを持ってゼッケンを付けた集団が移動しているのを見て何をやっているのだろうかと思ったことだろう。何かのデモか?いや、別に訴えたいことなど特にないのです。ただ歩いているだけなのです。心の中で勝手につぶやいてみる。

そんな後ろでは女性新聞記者が一緒に歩きながら、参加者に取材をしている。「どういう動機で参加されたのですか?」「こういうのに参加してみてどうですか?」「何か意識は変わりましたか?」。もし私が訊かれたら、「最近は体が鈍っていたので健康のためにウォーキング大会のつもりで参加しました」。

皇居のお堀沿いから丸の内を通り、有楽町の東京国際フォーラムの横から線路をくぐり抜けて東京駅の八重洲口に出る。しばらくオフィス街が続き、周りのおっちゃんおばちゃんたちは、「もしここで地震が起きたらビルの周りは果たして安全なのだろうか」と話をしている。そう言われて見てみるとオフィスビルはガラス張りがやけに目立つ。「最新の建築基準法に基づいて建てられている新しい建物は安全だよ」と物知りなおっちゃんが答えている。しかし続けて、「でも看板が怖いよね。いつ落っこちてくるかわからないよ」。

歩道の上の方を見上げてみると、オフィス街は路にせり出した会社やお店の看板が思いのほか多いことに気づく。そんな看板が震災の時に落ちた写真も見たことがあるような気がする。普段上を向いて歩くなんてことはないけれど、そういった意識で見てみると今まで見えていなかったものが目に入ってくる。今歩いている歩道も、傘を持って集団で歩いている我々がいるせいで、いくら気を遣って2列くらいに細くなって歩いてはいても、向こうも2列で歩いて来たり自転車が来たりすると狭いものだ。

数日前は炎天下が、今日は冷たい雨だった

今日はたまたま雨が降っていてるから傘を差しているのだが、こういう時にはそれ一つとってもキツイことなのだなという事実に次第に気がつき始めた。傘があるだけで片手がふさがり、単純に動きも制限される。また視野も狭くなり、前後左右に幅を取るので人が集まるとぶつかって邪魔になる。また傘は上半身──頭くらいしか雨を避けられない。下半身や腕などがだんだん濡れてきて、真夏だというのに肌が冷たく感じるようになってきた。ずっと歩き続けているので身体自体は暑いが、腕や脚からじわじわと体温を奪われている感じがする。

半袖の腕が冷えてきたので、背負ったザックから長袖のウィンドブレーカーを出して羽織った。こんな日でも普通のトレッキングのように蒸れないレインコートの上下と防水のウォーキングシューズで固めていれば、いくら足下が悪いとは言え舗装路オンリーであり、トレッキング的には何のことのないルートだ。実際そのような完全武装の人も結構おり、次からは絶対オレもそうしようと羨望のまなざしで見ていたのだが、いつ起こるかわからないのが災害だ。完璧なアウトドアルックをいつでも用意できるとは限らない。靴の中はもう水浸しで気持ち悪い感じだ。

今は8月下旬である。ほんの数日前はまだ真夏の炎天下だった。もし今日もそんな真夏日だったらどうだっただろうか。今日はスタート前に貰った水がなかなか減らないが、炎天下であれば何リットルもの水分が必要だろう。どんな天候が楽なのか、いろいろ経験していかなくてはなかなか実感できないのかもしれない。

[続く]

震災時帰宅支援マップ 首都圏版

昭文社
おすすめ度の平均: 4.0
4本書を利用して週末などに帰宅シミュレーションを

◉初出誌
『2004年度 市民による防災訓練〜帰宅困難者対応訓練〜実施報告書』(東京災害ボランティアネットワーク発行,2004年)掲載を再構成。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。
◉データ
2004年度 市民による防災訓練〜帰宅困難者対応訓練〜
開催日:2004年8月29日
場所:JR東京駅丸の内口〜千葉県・市川小学校
主催:東京災害ボランティアネットワーク
共催:東京石油業協同組合、東京・ボランティア市民活動センター、
       市川災害ボランティアネットワーク、連合東京
後援:東京都、千代田区、中央区、墨田区、江東区、
       葛飾区、江戸川区、千葉県、市川市

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帰宅困難者対応訓練(JR東京駅〜千葉県市川市 2004年8月29日)
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