阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

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◉震災発コラム

もう1年、まだ1年 被災地・長田の現在 ❶
忘れ去られたプレハブの街

神戸市長田区 ◉ 1996年1月

text by kin

1996.2.10  up
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人々はまだ闘っている

1996年1月。月日が経つのが早く感じる。あの阪神・淡路大震災からまる1年が経過した。もう1年、しかしまだ1年である。被災地のことは、このところ東京発のマスメディアにはすっかり登場しなくなってはいたが、被災地の人々はまだ闘っている。

確かに、焼け焦がれた瓦礫の山はすっかり片づけられ更地になっている。しかし、ただそれだけだ。周りは空き地だらけである。空き地は更地の状態のままで、土の上には草が生えている。商店や工場、郵便局などの多くも営業を再開しているが、それもプレハブによる仮設店舗での再開だ。区画整理や再開発の計画地に指定されているため、計画が決定するまでは本建築ができないのである。コンビニにも深夜営業をしていない店舗がある。

町中にはテント村や仮設住宅が

避難所も昨年(1995年)夏に解消した。とはいえ、テント村は依然として各地に点在する。特に海に近い南駒栄公園のテント村などは、被災地でも最も大きな規模だろう。そこを実際に訪ねてみると驚くことばかりだ。電気も引かれ、住民による自治会も結成されている。ここの住民のほとんどは在日ベトナム人の人たちだ。彼らは震災直後、不慣れな地震への恐怖から建物内に入ることを避けたり、文化や言葉の通じる同胞コミュニティを維持したいなどの理由で公園に避難した。入り口にあるゴミ捨て場にある看板は、回収日や分別の説明書きなどが日本語とベトナム語で記されている。

区役所に近い新湊川公園にも、ベトナム人の数家族が生活している。ここには建設費が安く耐久性にも優れた「紙の家」が何軒も建ち並んでいる。カトリック鷹取教会の講堂を「紙」で再建した建築家の坂茂氏が、住居用に応用して作ったもので、ベトナム人を支援する団体が建てたものだ。

それ以外の街中にある公園も、そのほとんど全てに仮設住宅団地が建設されている。逆に子どもが遊ぶ場所もなかなかないくらいだ。昔はプロ野球も開催したことのあるという西代球場も、そのグラウンドいっぱいに仮設住宅が建ち並んでいる。

震災は、いまだ現在進行形

結局、鉄道関係とライフラインがある程度整い、テントや「待機所」という名の避難所で生活する人が減っただけなのだ。マスコミでの情報量が減ったからといって、被災地が震災前のような普通の生活に戻ったわけでも問題が解決したわけでも全くない。報道、特にテレビにとってのニュースがない(というか取材力がない?)だけなのである。報道の中では、すでに震災が終わったのだろうか。

今は、新しい街を創ろうと、住民が勉強をして方向を定めようとしている段階か。まさにスタートラインに並ぼうとしているところなのだ。震災は過去ではない。まだ現在なのである。

[続く]

◉初出誌
『学級日記』第2号(自主発行,1996年2月10日)掲載を再録。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

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Text & Photos kin

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