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◉震災発レポート

第22回 神戸をわすれない
記憶のリレー 受け継がれる想い ❶
昔からのつながりと新たなつながり

東京都世田谷区下北沢 ◉ 2009年1月31日
第22回 神戸をわすれない 〜ペーパードームたかとりが台湾へ〜

text by kin

2011.1  up
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「第22回 神戸をわすれない」代表 星野弥生さん(2009年1月31日)
「第22回 神戸をわすれない」代表 星野弥生さん(2009年1月31日)[クリックで拡大]

今年も「神戸を忘れない」

この「神戸を忘れない」という集いは、1996年1月に東京において、青池憲司監督が製作していた連作ドキュメンタリー映画『野田北部・鷹取の人びと』の上映活動をきっかけとして始まった。世田谷区を拠点に活動する星野弥生さんを中心に毎年企画され、今回で13年目になる。連作映画全14部の完成後も集いは続き、今では都内で被災地・神戸の現在を学んだり地域の防災を考えたりする貴重な場となっている。

2009年も例年通り1月末に開催された。会場となった下北沢の北沢タウンホール上階の一室には、震災に関心のある人や関係者ら40人ほどが来場した。受付で長田神社前商店街の和菓子屋さんの「おみくじ付お饅頭」とお茶を頂き、開会を待つ。今年は青池さんの上映とトーク、そしてたかとりコミュニティセンター代表の神田裕氏の講演という内容だ。

記憶のリレー—青池憲司さん

主催者の星野さんの挨拶の後、青池監督の短編作品上映から始まった。この作品『震災復興のあゆみ〜あの時と今〜』 は、新しくカトリックたかとり教会内に設置された「野田北部・たかとり震災資料室」内での上映用に作られた30分ほどの新作である。新たに撮影された映像も交え、14年間の街の復興の様子がまとめられていた。

上映の後、神戸と長野県南木曽町(なぎそ)から帰ったばかりという青池さんの話が始まった。長野の南西部にある山深い南木曽は、鷹取地区とは震災時に救援物資として材木を贈って以来の交流が続いているという。そうした縁で、南木曽の中学校で「阪神大震災特別授業」を行ってきたのだ。

しかし青池さんは、初めどれだけ興味を持って話を聞いてくれるかという幾分かの不安もあった。授業を行うこの中学年代は、震災の前後の年に生まれた「震災を知らない世代」である。また山に囲まれたこの街は、都会の神戸とは大きく異なる環境だ。しかし終わってみるとそれも杞憂に終わり、

子どもたちへ「"震災の記憶"をリレー」するというバトンを渡すことができた。

と実感したそうだ。

昔からのつながりと新たなつながり—神田裕さん

続いて神田裕さんの講演である。神田さんは最近まで長田区野田北部にある「カトリックたかとり教会」の神父を務め、多くのボランティアを受け入れて地域と教会の復興に尽力されてきた。現在は鷹取のNPOの中心となる「たかとりコミュニティセンター」の代表という肩書きも持つ。神父様ではあるが、復興活動の中で首にタオルを巻く姿がトレードマークとなっており、旧来の知人からは「かんちゃん」と呼ばれる親しみのある方である。

そんな神田さんは震災後の救援活動を通して、それまでの考え方と変わったのだという。震災後は信徒さんだけでなく、地域の人々や全国からの救援者を広く受け入れる教会になっていった。そうした復興活動の印象として、「昔からのつながりと新たなつながりや出会い」というワードを挙げた。考えてみれば、このイベント「神戸を忘れない」のつながりも、震災前からのつながりで来たものだという。青池監督の作品『ベンポスタ・子ども共和国』(1990年)の製作に伴い、スペインから来日したベンポスタのサーカス団の神戸公演を支援したのが神田神父であり星野さんであった。

不思議な体験—震災ユートピアとは?

被災地の問題は、被災地だけの問題ではない。明日の被災地へ向けての、防災や減災の警鐘でもある。

神戸を伝えるということ。震災5年の時に東京に来たとき、『神戸ばかりが全てじゃない』と言われてしまった。

このように言われたこともあった。こちらに伝えたいという想いはあっても、なかなかうまくいかず難しいものがあったという。直後に見られた不思議で幸せな体験は、いつまでも続かない。その「震災ユートピア」を語った。

震災直後の3ヵ月間くらいは、『不思議な体験』をした。人の優しさに、人間捨てたもんじゃないなと感じた。しかし瓦礫が片づき、まちづくりが始まるとそれも終わった。その期間は『人の痛みも解る体験』でもあった。広島の被爆地に行って話したとき、おばあちゃんは『私は3年しか体験できなかった』と話していた。原爆の復興はとても大変で苦労する体験だったのだなと想像できた。

それは当時現地に居た者であれば誰もが体験した、本当に不思議な時間であった。オブラートの取れた人間関係というのだろうか、例えば名刺交換のいらない地位や肩書きで判断をしない、人間同士の気配りや思いやりが普通にできる世界だった。

[続く]

◉データ
第22回神戸をわすれない 〜ペーパードームたかとりが台湾へ〜
開催日:2009年1月31日
場所:東京都世田谷区下北沢
        男女共同参画センターらぷらす11F(北沢タウンホール内)
主催:神戸をわすれない・せたがや
共催:世田谷ボランティア協会ボランティアセンター
後援:世田谷区社会福祉協議会
協力:世田谷区こどもいのちのネットワーク、市民運動・いち
内容:短篇映画『震災復興のあゆみ〜あの時と今〜』
        上映とトーク 青池憲司
       「ペーパードームたかとりが台湾へ」神田 裕
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

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青池憲司監督
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