阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

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◉震災発レポート

被災者が描いた震災❶
多くの年長者が、
写真から崩壊した街を描いた

神戸市中央区・兵庫県立美術館ギャラリー棟 ◉ 2010年1月23日
阪神・淡路大震災15年「震災の絵」展

text by kin

2011.1  up
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一見、ジブリに比べると地味な企画だったが…

2010年冬、HAT神戸にある兵庫県立美術館は、2007年夏に東京都現代美術館で好評を博し全国を巡回している「ジブリの絵職人 男鹿和雄展」を開催していた。神戸でも人気のようで、岩屋駅から美術館までの道程も若者たちの群れが点々と続いていた。私もその流れに紛れ込んで美術館へ向かうが、行き先は同じではない。私が行ったのは入場無料の『「震災の絵」展』。主催するNHK神戸放送局などが昨年から広く募集をしていたもので、これはそれを一同に集めた展覧会だった。

この時期、神戸ではたくさんの震災関連イベントが催されている。その中にあって、個人的には特に興味を惹くほどのイベントではなかった。目新しさを感じなかったからである。しかし知っている方が出展していることを知ったこととタイミングが合ったこともあり、行ってみることにした。結果的にはこの判断は吉と出る。思った以上にたくさんの感嘆を覚える作品に出会うことが出来、そして考えさせられることも多いものとなった。

展示をプロデュースし、編集する

美術館の裏口のような目立たない入口から3階に上がった。来場者もぱらぱらと見受けられ、関心も高いようだ。会場は意外と広く、団体での出品を除くと170点の作品が展示されていた。そしてその作品の一つ一つのキャプション・パネルのほとんど全てには、タイトルと共にその作品の背景や想いが長々と綴られていた。それをじっくりと読みながら絵を顧みると、その一つ一つの作品を簡単に流して見ることはできない。このように読ませるような「編集」的工夫が施され、それが見事に利いていた。

また集まった作品をただ並べるだけではなく、そこには美術館ならではのプロデュース力も感じる。集まった作品の中身を吟味し、背景テーマ別に大きく3つのブロックに分けていた。「第1章 変わり果てた街、そして失われた命」「第2章 つながる人の力」「第3章 未来へ」という他、さらにそれを細分化し、例えば1章では「街の記憶」「命の記憶」「風景の記録」というように分けていた。

多くの年長者が、写真から崩壊した街を描いた不思議さ

全体を眺めていて気がついたことがいくつもある。まず「崩壊した街」を描いたものがとても多いことだ。キャンバスに倒壊家屋やビル、燃えさかる街を描写する。どちらかというとドキュメンタリーのような写実性のあるものばかりである。しかしながら当時現場でスケッチしたものはほとんどない。キャプションのコメントを読むと、ほとんどが自分で撮影した写真や新聞などの報道写真を見ながら描いたり、脳裏に焼き付いた記憶をたどって描いていた。また震災の年ではなく、その後数年以上が経過した後に作品制作に取り掛かっていた。これらの特徴は、長田で被災した吉見敏治氏や兵庫区で被災した堀尾貞治氏といった美術家たちのアプローチとは対照的といってもいい。

この吉見敏治氏や堀尾貞治氏は、それまで抽象画であったり現代美術であったりといった作風の画家だったが、自宅で被災した後の春には、何かに突き動かされたかのように現場に入ってスケッチし、具体的な写実的作品を量産していた。それは職業画家としての使命のようなものだったようだ。共に考えたわけでも頼まれたわけでもないというが、今描かねばならないとしてそれまでの作風とは趣を異にしてまでも制作に没頭したという。こうした職業画家たちとの製作過程の違いは、何を意味するのだろうか。

こうした作品を残していた人は、60代以上の高齢者の方がほとんどだった。そしてどの方もが、想像を絶するような辛い体験をされている方ばかりであった。なのにそこであえて最も辛い場面を描写している。なぜ同じような体験をされた似たような年代の方ばかりが、何人もこのようなアプローチをとっていたのだろうか。それを不思議に感じていたが、そこから何らかの心理的な共通項を導くこともできるかもしれない。そこにあるのは死者への悼みであるだろうし、また記録や伝承といったことへの使命感かもしれない。そしてそうした一連の作業自体が、自身へのセラピーにもなっているのだろうとも想像できる。

さまざまな特徴

また「人物」を構図の中に入れたものも目についた。その「人」というのは、被災者であったりボランティアであったり救助隊であったり自衛隊であったりと、それぞれ立場が明確な人たちばかりである。絵のテーマとしては異質なこれら(被災者、ボランティア、救助隊、自衛隊…)を選択したという点からは、そうした方々への感謝の念を感じ取る事もできる。そしてそれを記録して残しておきたいという想いが伝わってくる。

また作者の名前の中には、新聞などで何となく目にしたりして聞いたことがある方を何人か見つけた。例えばそれは、各地の復興まちづくりの過程の中でアクティブに動いておられた方や、震災の語り部として各地で活動をされている方々であった。震災という辛い体験を思い出したくない、考えたくないという方はまだまだ多い。一方で残す、伝えるという前向きな活動ができる方もいる。そうした前向きな活動をされている方だからこそ、こうした絵を描けたのかもしれない。

心の復興は

館内では、震災の絵にまつわるNHK神戸放送局製作の番組が上映されていた。そこで取り上げられていた一人が、ある震災の語り部の女性の方だった。

息子は、震災直後から何時間も生き埋めになった。しかし救出されて以降、そのことを誰も触れることなくそのまま14年が経過していた。息子は生き埋め体験を家族の中でも話題にすることが全くなく、また母親もそれを聞き出すことができなかったのだ。震災の語り部を始めた数年後、息子が救出された時の様子を絵に描いた。そして迎えた14年目、これまで震災のことを話題にしてこなかった理由を、初めて息子に尋ねてみた。すると「震災を早く忘れたいから思い出したくもない」という答えが帰ってきた。しかし一方で「体験を伝えることは大事だ」という、語り部の活動への理解もあった。

同じ家族内でも心の復興が出来ている人と出来ない人がいるということを知った結構な衝撃的な映像だった。

[続く]

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

◉データ
阪神・淡路大震災15年「震災の絵」展
開催日:2010年1月17日(日)〜1月30日(土)
場所:兵庫県立美術館ギャラリー棟(神戸市中央区脇浜海岸通)
主催:NHK神戸放送局、神戸新聞社、兵庫県、
       人と防災未来センター、兵庫県立美術館
後援:ひょうご安全の日推進県民会議、神戸市

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Text & Photos kin

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