阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

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◉震災発コラム

満月の夕の記憶 ❸
ホームグラウンドで、自分の"うた"を歌った。

神戸市長田区・南駒栄公園 ◉ 2003年1月19日
弱男の夕~1.19フリーライブ in 神戸
ガガガSP

text by kin

2007.1  up
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長田区役所内にも掲示されていたライヴ告知ポスター(長田区北町 2003年1月13日)
長田区役所内にも掲示されていたライヴ告知ポスター(長田区北町・長田区役所 2003年1月13日)
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弱男の夕~1.19フリーライブin神戸[DVD]
ソニー・ミュージックレコーズ
(2003-04-23)

昔遊んでいた南駒栄公園で

2003年1月19日、ガガガSP(ガガガスペシャル)は地元・神戸市長田区の南駒栄公園でフリーライヴ「ガガガSP フリーライブ in 神戸『弱男の夕』」を開催し、1万人あまりもの観客を集めた。インディーズのパンクバンドとして活動していた彼らは、前年2002年にメジャーデビュー。曲がCMソングにも使われマスメディアにも登場するようになっていた。特に中高生から熱い支持を集めるようになっていき、2ヶ月後に初のメジャー・アルバムをリリース目前にしたタイミングだった。

新長田駅から10数分あまり南下したところにある南駒栄公園は、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬らが"満月の夕"を生みだすきっかけとなった原風景の場所である。ここは震災後に大規模なテント村避難所が形作られ、その避難所の解消後には、2階建ての一般向け地域型仮設住宅が建ち並んでいた。それから数年して仮設が撤去されると、長い期間神戸市営地下鉄海岸線の建設工事現場として使われていた。その地下鉄が完成すると、公園の敷地は再開発を前にしてふたたび広大な更地となっていた。

この数年の間、そうしたさまざまな経緯を経ていた南駒栄公園も、ガガガSPのボーカル・コザック前田にとっては、ただの「小さい頃に野球をやったりして遊んでいた」という、ごく普通の地元にあった公園に過ぎなかった。震災後に公園の歩んだ歴史までは知る由もない。今回のフリーライヴの会場として選ばれたのも、単に交通や収容人数などの面で最も都合が良かったという理由に過ぎなかったのだろう。しかし結果的にそうした偶然は、奇妙な因果を生み出していた。

ガガガSPはコザック前田を中心に、神戸市長田区と須磨区の境界に近い須磨区板宿で結成される。須磨とはいってもこの板宿を中心としたこの地域の生活圏は、行動範囲で言えば新長田辺りまでも包含する。前田も含めたメンバーも全員が神戸市出身で、地元のことを歌った曲も多い。そんな彼らは震災当時、中学生だった。

被災中学生が見てきた、被災地の日常

震災ではメンバーも、自宅が半壊になるなどの被害を受けた。しかしそうした体験も含めて、当時子どもだった彼らにとっての震災とは「日常としての非日常的風景」であった。授業やテストがなくなり愉しいこともあった。被災地を外から見たときのステレオタイプなイメージからは乖離した、違和感のようなものもあったようだ。そんな彼らが感じた被災者としての違和感は、"問題はない"という曲に反映され、彼らなりのアプローチを試みている。このオリジナル曲はカップリングシングル曲であり、彼らがそのメインのタイトルトラックとして選んだのは、カヴァー曲"満月の夕"であった。

彼らはこの曲をソウル・フラワー版とヒートウェイヴ版の歌詞を合わせて自ら編曲し演っている(ちなみにこの曲のプロモーションビデオには長田神社での映像も登場したり、その前のシングル"晩秋"のPVでは南駒栄公園に最も近い地元商店街が登場する)。曲調は彼らのスタイルである青春パンクヴァージョン。彼らはカヴァーとしての"形"を尊重しつつも、それよりもさらに一歩踏み込み、被災した「当事者」として自分の歌として歌った。そんな彼らが"満月の夕"の生まれた地で、そして文字通り自分たちのホームグラウンドでもあるこの南駒栄公園で"満月の夕"を歌うということは、とても象徴的な出来事だった。フリーライヴの前、初めてその偶然を知らされたコザック前田は、その奇妙な因果に驚いていたという。このシングル"満月の夕"は、震災8年目を迎えた1月17日に発売された。

ガガガSP登場

このフリーライヴ『弱男の夕』は、復興の旗印として地元の商店街など街を挙げてのイベントとなった。店先はもちろん、区役所などの公共施設にも告知ポスターが貼られていた。

僕らがライブをやることでたくさんの人が集まって、地元の商店街とかがそれを利用して盛り上がってくれれば。そうしながら街が復興していければええなあ、と。──コザック前田(『週刊SPA!』2月4日号,扶桑社,2003年)

当日は近畿一円から1万人あまりもの若いファンが集結した。ステージ前はスタンディングの人の波で熱気が充満している。小雨も降り寒さが染みてきた午後2時、開演した。前座には同じく板宿出身でコザック前田の同級生でもあるメガマサヒデが登場。続いてガガガSPが"世界は二人のために"を"世界は長田のために"にして盛り上げ、爆発的な熱い演奏をスタートさせた。

コザック前田は途中のMCで、2日前の17日に三宮の神戸市役所前で行われた被災者支援イベント会場で、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのライヴを見たと話した。そしてこの日に向けて「刺激を受けた」と話し、それを枕にして自分たちの”満月の夕”の演奏を始めた。盛り上がりの中、「この曲で(!)」ステージダイブする強者も現れ、人波に揉まれながらも人が頭上をコロコロと転がっていく。そんなパフォーマンスも彼ららしいものだった。こうして大成功を納めたこのライヴが、この南駒栄公園の歴史の最後を飾るイベントとなった。このライヴの模様は、後に『弱男の夕』というタイトルのDVDとして映像記録に残されている。大勢の若いファンやお世話になった地元の人たちを前にして、故郷に錦を飾った。

この後しばらくして公園は閉鎖され、工事が始まった。現在では巨大なホームセンター(アグロガーデン神戸駒ヶ林店)とスーパー銭湯(天然温泉げんきの郷)が建ち並ぶ長田の新名所になっている。

ガガガSPは、ホームグラウンドで自分のうたを歌いきった。

【文中敬称略】

[続く]

満月の夕
ガガガSP
ソニーレコード (2003-01-17)
おすすめ度の平均: 4.5
4 人がいなかったら泣いてたかも。
5 心に響く
ガガガSPベストアルバム
ガガガSP
ソニーレコード (2007-04-25)

◉初出誌
当サイト内『震災文化コラム─満月の夕の記憶』(2007)を再構成。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。


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Text & Photos kin

震災発サイト管理人。地元ボランティア団体に助っ人スタッフとして参加。当時前田氏、メガ氏も地域やボラ団体の活動に関わる場面もあった。
本コラムは、その活動時を含め現場で得た情報と調査、資料等から構成している。

このサイトについて

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長田区役所 2003年1月13日
長田区役所
(神戸市長田区・長田区役所)
2003年1月13日
南駒栄公園テント村 神戸市長田区 1995年10月22日
1995年の南駒栄公園テント村
(神戸市長田区)
1995年10月22日
南駒栄公園テント村 神戸市長田区 1995年10月22日
1995年の南駒栄公園テント村
(神戸市長田区)
1995年10月22日