◉震災発レポート
駅前の止まった大時計
吊るされる「生きろ」とは?
西宮市・西宮中央商店街 ◉ 2010年1月17日
『生きろ』の森づくり
text by kin
2011.1 up
御影駅で聴こえた歌声
阪神電鉄御影駅で電車が停車してドアが開いた時、賑やかなメロディが耳に飛び込んできた。駅前のショッピングモール「御影クラッセ」の広場で催された1.17追悼コンサートのようで、「あの日を忘れない 震災15周年 チャリティーコンサート」のタイトルもホームから見えた。歌っている姿は客の陰で見えなかったが、ちょうど砂川恵理歌さんが歌っていた時のようだった。その芯の通った力強う歌声に惹かれ、思わず降車してしまうほどだった。しばらく停車していた列車の車掌も、表情を見ていると耳だけはしばしの感傷に寄せられているかのようにも映った。
駅前の止まったままの大時計
西宮のえべっさんで知られる西宮神社は、毎年1月に行われる十日えびす大祭時の福男選びによって、近年は全国的にも知られている。その最寄り駅である阪神西宮駅に初めて降り立った。駅前から神社へと続く戎参道の商店街「西宮中央商店街」は、震災によって店舗数も大きく減ったという。その商店街に設置されている震災モニュメントは、印象的でよく知られているシンボルだった。それが震源時を差したまま止まった大時計である。
震災により、商店街のアーケードに取り付けられていた大時計が止まってしまった。その後それを修理や廃棄にせず、震災を伝えるモニュメントとして残しているのだ。それ以後、毎年1月17日の早朝には、このモニュメントを前にして追悼イベントが行われている。そしてそれは「17日早朝の様子」を伝える象徴的な場面の一つとして新聞紙面を飾り、被災地西宮の様子を外へと発信する記号ともなっている。そんな大時計モニュメントが、今年から移設されたという。西宮中央商店街では、その移設祈念も兼ねた震災15年のイベントが企画されていた。
改札を出て大時計の設置場所を探そうとしていると、何のこともない、駅ロータリーを渡ったすぐ目の前にそれはあった。屋根に設置されるような時計も、こうして地上に降ろしてみると結構デカくて存在感がある。時刻は「5時46分」を差したまま止まっている。いずれはこれが地震の発生時刻だと判らない市民も増えてくるのかもしれない。当時、街頭に設置された大時計の多くは止まってしまったが、直さずにそのままモニュメント化して残しているものは、実はほとんどない。それを考えると、"駅の目の前にあるのに止まったまま"というその存在矛盾自体が、強烈なメッセージを発している現代アートのようにも思えてくる。その存在意義というのは、記憶が風化していくこれからの方が益々出てくるのかもしれない。寡黙ながらも主張し続けていくことだろう。
「生きろ」が吊るされる
この時計の周囲で、震災15年イベントが行われていた。辺りにはたくさんの笹が立てられて、まるで七夕の短冊のように「生きろ」と書かれた紙が吊されている。この「生きろ」は、宝塚市在住の現代美術家鈴木貴博氏の"「生きろ」プロジェクト"の一つで、商店街とコラボレーションした震災追悼イベントである。鈴木氏は世界各地で「生きろ」と字を書くパフォーマンスを行っているそうで、昨年(2009年)に行われた「西宮船坂ビエンナーレ2009」というアートイベントにこれを出品したことが、今回のイベントに参加するきっかけだったという。
西宮神社などから提供されたという笹には、七夕短冊のように自由に願いごとが書かれているわけではない。とにかく「生きろ」とあるだけだ。これらの文字は鈴木氏が全て書いているわけでなく、企画に協力する生徒や市民、通りがかった通行人たちによって記されたものだという。こうしたテキストという直接的なメッセージが、まるで何かを圧倒するかのように吊されている。
これは市民参加型のアート・パフォーマンスなので参加も自由で、見ていると道行く人たちも結構興味を持って立ち寄っている。それぞれの好きな言葉ではなく、ただ「生きろ」という同じコトバなのだが、紙に書かれた個人個人の文字の個性の差異によって、その短冊の数がすなわちプロジェクトに参加した人の数だと視覚的にも伝わってくる。同一のテキストだと無個性なのかとも思っていたが、じっくり見ていると以外にも個性的であり、筆跡というのが案外ミソになっているのかもしれない。
それは、ポジティブな挑発
しかしこれに参加するのには、一瞬躊躇してしまうことも事実だ。この「生きろ」という言葉は、命令形でもあり励ましのようでもあり強くもあり優しいものである。他者の言葉のようでもあり、また自己の内面からの言葉のようでもあり、いろいろな解釈ができる。だからこそ鈴木氏もこのコトバを選んだのだろうが、私は第一印象の時に、それが何か命令形のようなキツさに感じ取れてしまった。一回そう見えてしまうと、笹から吊されている全てのコトバが束になって襲いかかってくるかのようにも思えたりもする。
「生」という文字で思い出すこと。例えば2006年1月に愛媛県今治市で行われた防災イベントでは、紙灯籠の灯りで「生きる」と形作っていた。そこに込めた「生きる」は、頻発した事件や事故や災害の中で、命の尊さを子どもたちと一緒に考えていこうというコンセプトだった。また黒澤明の映画『生きる』も、それが「生きる」というコトバだったからこそ、作品の内容にも静かで強い決意がそこに潜んでおり、武士道的な日本っぽさを感じる事ができた。
そこをこのプロジェクトでは、あえて「生きろ」と「ろ」にしたところが、いかにも現代のアートっぽい挑発的なポジティブさであるように思う。しかもこの被災地でこれを表現しているのだ。そこには作者・鈴木氏の覚悟とポジティブな力強い励ましが内在しているのだろう。それを感じたからこそ、この商店街の人たちは震災イベントとしてここでこれをやろうと共鳴したのだと思う。
結局のところこのパフォーマンスに参加することは、書くという行為によって自分を鑑みるというまるで写経のような、また書道のような「己」と対峙するセラピーのような「作業」なのかもしれない。
[了]
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。
◉データ
震災祈念時計移設にともなう阪神・淡路大震災15周年祈念事業
「生きろ」の森づくり
開催日:2010年1月16日・17日
場所:西宮中央商店街・エビスステージ
主催:震災15周年祈念戎参道実行委員会