◉震災発レポート
忘れない、東の被災地の決意
仁川百合野の大規模地すべり
西宮市仁川百合野町 ◉ 2009年1月17日
地すべり資料館
text by kin
2011.1 up
阪神・淡路大震災における被害の大きな特徴一つに、西宮市仁川で発生した大規模な地すべり被害がある。地震直後に発生した巨大な地すべりにより土砂が住宅を押し流し、34名もの方々が亡くなったのだ。この壮絶な被害によって、はじめて地震が引き起こす盛り土された宅地造成地の問題が専門家の間でも注目されることとなった。この被災地には今、その記憶を留めるべく地すべり資料館が建っている。
東の被災地
阪急電鉄今津線の仁川駅は阪神競馬場の駅だ。駅に競馬場が隣接しており、レース開催日にはホームも人で溢れかえるほどだというが、平日は閑散とした普通の郊外の駅である。その競馬場とは逆の西口は、対照的に閑静な住宅地である。ちょうど宝塚市と西宮市の境界付近に当たり、そこを仁川が流れる。仁川は川と言っても天井川で、水は地下を流れているため水量はほとんどない。ちょっとした枯山水の公園のようでもある。
ゆるやかな川沿いの細い坂道を通る車のほとんどは高級な外国車だった。昔から続いているような周囲の家々の立派な門構えが永遠と建ち並ぶ。そんな川沿いを1km強歩き続けると普通の住宅地になる。ふと視線を上げると、正面の山肌の斜面が開けていた。麓まで近づき斜面を見上げると、それはコンクリートで固められた段々畑のようでもあった。これが地すべりの起きた現場であった。
川に掛かる橋を渡り階段を上る。その脇には小さな広場があり、斜面を背後にして慰霊碑があった。震災から14年を迎えたこの日は、その慰霊碑はたくさんの献花で埋もれている。その脇の小径から奥に行くと斜面に抜けられる。その開けた視界を見渡してみると、傾斜はそれほどきついようには見えなかったが、思ったよりも広く、そして高く感じた。この広さもの地面がすべてがいきなり流れ動いてしまうとは、現場を目の前にしてもとても信じがたい。広場まで戻り、隣に建つ「仁川百合野町地すべり資料館」に入った。
知られざる盛り土による造成の歴史
到着が遅く、すでに午後に行われていた追悼イベントのコンサートも終わり、関係者が後片づけをしているところだった。館内を見渡すと1Fは小さな教室のような学習ルームになっており、ここでイベントをやっていたようだった。2Fに行こうとした時、ちょうど手の空いた施設の方が案内をしてくれた。
2Fの展示室には、地滑りした斜面の被災前、被災後、工事後の航空写真や地層の様子と、対策工事の模型などが並んでいる。この仁川では地震直後、高さ幅共に100mもの面積の斜面が一気にすべり、13戸の家屋もろとも崩れ落ちた。そして34名もの方々が亡くなった。元々この周辺の岩盤は硬く、家屋の倒壊も市内の他地域ほどは大して目立たなかった。それがどうしてこの場所だけに被害が集中したのだろうか。
この場所は六甲山地の東、甲山(かぶとやま)の麓の上ヶ原台地にあたる。大正時代にこの丘の上に浄水場ができ、戦後さらにもう一つの浄水場が造られた。この2つの「阪神水道企業団甲山浄水場」と「神戸市水道局上ヶ原浄水場」は、共に六甲や淀川から取水をして神戸や阪神地域へ給水するものである。そうした造成による開発。そして戦後は、その下の谷を"盛り土"によって埋め立て住宅地を造成した。元来この辺りは天井川である仁川で判る通り、地層深くに地下水脈の流れる水の豊かな地域である。そうした性質の土地の上に、盛り土で柔らかい土が多いかぶさったのだ。長い間安定し地盤も定着したかに思われていたが、地震の揺れによって地下水を多く含んだ層の地盤が液状化したのだろうと考えられている。そしてその液状化した地盤の上に乗っていた柔らかい"盛り土"の造成地全体が、もろとも住家ごと流れてしまったのだ。
案内してくれた方も長く住んでいる近隣の住民だった。この地域ではこれまでにも台風や大雨などがあったが、斜面を含めて異常を感じたことは一切なかったという。仁川では水害が起こったこともない。地元の人でさえ、当時「仁川で地すべり」との一報を聞いてもピンと来ず、仁川沿いの護岸でも崩れたのかと思ったくらいだったという。まさかとの思いだった。
隣人を想い続け、教訓を伝える
この復興に際しては、大規模な地すべり対策工事を行っている。この周辺の地下水の水抜きのために、斜面一面に鉄パイプの杭を何本も打ち込む「集水ボーリング」という工法を施したり、大きな井戸を堀り地下水を排除する「集水井戸」を造ったりと、かなり徹底的な工事のようだ。その工事を説明する現場模型が並んでいるが、窓の外に目をやると、その現場の実際の光景が観察できる。
これら一連の対策を施した現在では、残ったこの一帯を含めて同じことが2度と起こらないと言えるくらいだが、万全を期すために地震計や傾斜計などの自動観測システムを各所に設置し、この施設内で常時観測しているという。その監視室も展示室の隣に設けられている。
この地すべり資料館は、県の施設(兵庫県阪神南県民局県土整備部西宮土木事務所)として建てられたものだが、施設の管理や案内などは地域の住民の方が手伝っている。今日のような追悼イベントも地域住民の手で催したものだという。亡くなった34名の方々は、地域の親しい方ばかりだった。その身近な隣人を忘れず、教訓を伝えていこうとする想いが伝わってくる確かな場であった。資料館としての役割と共に観測所としての実務も兼ね備える。対策工事も一段落し再び住宅地としての静寂さも取り戻した。コンクリートで固められた斜面には住民によって芝桜が一面に植えられ、春には満開の花の絨毯が見られるという。地すべり資料館がこの地に、モニュメントとして存在する意義は大きい。
[了]
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#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。
- 仁川百合野町地すべり資料館
- 仁川百合野地区
- 環境学習都市・にしのみや エココミュニティ情報掲示板
- 「1995年兵庫県南部地震における液状化災害-とくに仁川百合野台の斜面崩壊について-」山形大学教育学部 川辺孝幸 -『東北地域災害科学研究,32, 213-218.(1996)』:山形大学地域教育文化学部 地学研究室