阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

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◉震災発レポート

震災は美術に、
どのような影響を与えたか?

神戸市灘区 ◉ 2000年1月15日〜3月20日
兵庫県立近代美術館
震災から5年 震災と美術—1.17から生まれたもの—

text by kin

2000.2  up
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震災に影響されたアート作品が一同に

震災から5年が経過した2000年1月、阪神間ミュージアムネットワーク加盟の各美術館・博物館では様々なイベントが開催された。例えば芦屋市立美術館の「震災と表現」や白鹿記念酒造博物館(酒ミュージアム)の「震災を記憶する」、そして今回訪れた兵庫県立近代美術館の特別展「震災と美術—1.17から生まれたもの—」である。

かねてから文化の中に「表象された震災」におおいに興味があった。しかしそれに出会うことは、以外に難しい。なぜならば、アートのジャンルの中に「震災」というものが独立してあるわけではないからだ。世間で公に発表されているものもあるが、多くはその分野の狭い世界の中でひっそりと創造されている。震災に影響されたかどうかは哲学の問題なので、作者からその作品の背景が語られない限り外からは判断をできないということもある。一倍感性が豊かであろうアーティスト・表現者たちの精神や感性に、震災はどのような影響を与えたのだろうか。

黒い骨組みだけのプレハブ仮設が出迎えた

王子動物園の向かいにある、村野藤吾設計の兵庫県立近代美術館。入り口を入った1階ロビーには大きなオブジェが展示されていた。

井上廣子「魂の記憶〈98・7・25−220〉」である。黒い骨組みだけのプレハブ仮設住宅。枠の中には砂利が敷き詰められており、仮設の中に病院の白いベッドが4つ並んでいる。外側にはプロパンガスのボンベが2つある。一見してとても強い印象を受け、興味を惹かれた作品だった。黒く冷たい枠。それが広いようで狭い間取りを構成している。病院のベットが仮設にあることは、あたかも仮設が病院の終末のようだとも思わせる。そこに生活の接点としてのプロパンが共存する。仮設が撤去されたばかりの今の阪神地域では、この作品はまだ生々しい。しかしこれは都内などの、しかも屋内ではなくオープンなスペースに置いてみると面白い作品だと感じた。

2階に上がると、まず米田定蔵・米田英男の写真が印象的だった。被災直後の神戸をモノクロで撮っている。その眼差しというのが報道ものと微妙に違う。故郷が廃墟になってしまった様子をあくまでも冷静に直視しているようだが、その中にもやりきれないような悲しさのような、そんな気持ちが読み取れる。

日本画家の西田眞人の「黒いアーケイド」は、大きく褐色の骨組みとなってしまった商店街のアーケイドが題材の、一見写真と見間違うようなリアルさのある写実的な絵画である。そのリアルさは、逆にストレートで印象的だった。

大きな紙を亀裂などの上に置いて、上からこすり付けで写し取るというトン・マーテンスの作品。実物の複写は、その大きさと直接的に対峙するために、断片ではあるがそれでもストレートに素直に響いてくるものを感じる。

剪画の"とみさわかよの"の作品も素晴らしかった。剪画(せんが)とはようするに切り絵のことであるが、実物を見ると黒と白のコントラストだけで繊細に表現しており、細かい技術には息を呑むものがある。描かれるのは、震災直後の被災した街並から仮設の生活までの様々な情景だ。それは外から見た悲惨な光景ではなく、隣の日常にある生活の中の姿である。繊細な技術によって、人々の感情や街の空気感のようなものまでが伝わってくる。

そして今回の展覧会で最も衝撃を受け印象が残ったものが、一般の子供の描いた絵だった。

震災後に子供の眼に映ったもの

ここにあるのは、何千人の中から選ばれたという被災地の児童の作品だった。どれもセンスがあり、普通にある日常の被災地がそこにある。被災地の日常とは、電車の窓から見える焼け野原であったり、仮設であったりする。中には仮設住宅で暮らし、遊んでいる子もいる。もともとセンスのある子もいるだろうし、上手い子の作品が集まっているのだとは思うが、いい作品ばかりだった。

子供たちが地震を描いたとき、その恐怖は色に端的に表われる。それを大人はメタファーであるなどと解釈もするだろう。しかしここにあった絵は、どれも多彩で直接的で直感的で自由な作品ばかりであった。本当の内面、PTSDなどの心の傷があるかどうかなどは知らないが、多かれ少なかれ無意識の中にも影響はあるはずだった。それも含めて、震災後に子供の眼に映ったものがここにあった。

創造者の葛藤

どの作品の説明パネルにも、それぞれの製作のいきさつや解説が書かれたキャプションがあった。そこに記されていたものは、作者によって内容も考えも異なっている。しかしそこに創造者としての葛藤が記されていたという点では共通だった。

震災直後から絵筆を取って作品を製作する人もあれば、数カ月は何もできない人もいた。自分から動いた人もあれば、人に押されて避難所で絵を描いた人もいた。水がまだ出ないときに、その貴重な水をためらいながらもフィルムの現像に使った人もいる。カメラを持って街には出たが、シャッターを切れなかった人もいた。作品は被災者に力を与えた場面もあれば、被災地の現実を外に伝えることもあった。

そんな葛藤があっただろうということは想像していたが、その様子にはとても人間的なものがにじみ出ていた。普段アートというものは、美術館に行かないと出会わない。言わば非日常の世界ではあるが、この展覧会にあったものはより日常の中に入り込んだ、生活に密着した社会的な作品が目に付いたように感じた。作品の方から被災者や、被災地の現場の方に寄り沿って、生活に紛れ込んでいる。そうした文化はこれからも根付いていって欲しいと思う。

現実にひるみながらも対峙した

今回、近代美術館の特別展には、様々な震災の影響を意識、無意識のうちに受けた作品が一同に集められていた。プロやアマチュア、フィクションやドキュメント、絵画から彫刻やパフォーマンス、子どもから大人まで、そこに垣根はなかった。時に美術、芸術、文化とは、生活必需品の優先順位をつけたら最も最下位に位置するものだろう。フィクションを凌駕する現実を目前にして、表現者は葛藤していた。しかしそうした現実にひるみながらも対峙し、表現者にしかできない方法で現実を記録していた。

【文中敬称略】

[了]

◉初出誌
2000年1月末日執筆の報告文を加筆し再録。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。
◉データ
震災から5年 震災と美術—1.17から生まれたもの—
開催日:2000年1月15日〜3月20日
場所:神戸市灘区原田通・兵庫県立近代美術館
主催:兵庫県立近代美術館/神戸新聞社

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Text & Photos kin

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