阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

青池 憲司 監督作品 映画『宮城からの報告—こども・学校・地域』製作委員会

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コラム・撮影報告

石巻撮影報告
7/5

小学校で撮影してから1週間

text & photos by 青池憲司

2011.7.5  up
七夕をまえに、こどもたちが学年ごとに「ねがいごと」を書いて、発表した。
七夕を前にして短冊に願い事を書いた。 (宮城県石巻市 2011年7月) Photo:青池組

総合の授業「よみがえれ石巻」

石巻市立門脇小学校の撮影をはじめて1週間余が過ぎました。1学期は、震災の影響で土曜日までビッシリ授業があります。この1週間の石巻地方は、はっきりしない梅雨空模様でしたが、それでも、晴れ間が出た朝に、こどもたちの登校風景を撮りました。小学校は、門脇中学校に間借りしての授業なので、児童生徒大小が入り混じっての登校です。若いイキモノたちの群はすばらしい。

3年生の総合の授業で「よみがえれ石巻」という課題をしています。失われた校区のまち(門脇町、南浜町ほか)を再建するにはどうすればよいのか? 次の災害に備えるには何をすべきか? 空想力を全開にしてこどもたちが考えています。2学期にまでまたがるたのしみなLong Studyです。

七夕をまえに、こどもたちが学年ごとに「ねがいごと」を書いて、発表しました。

多くの外国人も被災

東日本大震災では、多くの外国人も被災しました。警察庁によると、6月27日現在、死亡した外国人は29人、うち7割近い20人が宮城県内で亡くなっています。震災発生直後、外国人が取った行動を調べると、「日本語」の日常会話はできるがむつかしいことばはわからない、「近所付き合い」が希薄、「防災意識」が欠けている、の3点が生死を分けた要因だったと分析されています。

「高台に避難してください」という防災無線やラジオの呼び掛けの、「高台」「避難」の意味が分からなかった人が多かったといいいます。被災した外国人の集り「東日本大震災をふりかえる会」を撮影しました。日本人と外国人の協働のコミュニティづくりを映像で追究することは、わたしにとって、阪神大震災以後の宿題です。

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

青池憲司

ドキュメンタリー映画監督。震災後、親交のあった長田区の野田北部・鷹取地区に入る。"野田北部を記録する会"を組織し5年間に渡りまちと住民の再生の日々を映像で記録。
「記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部」(1995年〜99年,山形国際ドキュメンタリー映画祭正式招待作品)を発表、国内外で上映。2002年「日本建築学会文化賞」受賞。

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